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富士山吉田口登山道の起点となる「北口本宮冨士浅間神社」からのスタートです。
こちらは国道138号沿いの神社参道入口の鳥居です。
奥には荘厳な雰囲気に包まれた参道が続いています。 |
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北口本宮冨士浅間神社の参道です。
樹齢300年以上の杉と桧の木々と、苔が覆った石灯籠が静寂と荘厳な雰囲気を演出します。 |
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「富士山大鳥居」です。高さ18m、日本全国の木造鳥居のなかでは、最大級の大きさを誇ります。
60年に一度建て替えられることになっています。
鳥居の先の随神門を入れば境内の中心部です。 |
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樹齢1000年以上といわれる「冨士太郎杉」と拝殿・幣殿が境内中心部に入りますと見えてきます。
富士講のひとり、村上講の村上光清は莫大な資金をかけ江戸時代の享保18年から元文3年までの6年間
(1733〜1738)で境内社殿の大造営を行いました。
現存の社殿はその当時から大きな被害も受けず現在も荘厳な趣を有しています。 |
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北口本宮冨士浅間神社の境内の裏手にあるのが、吉田口登山道の起点となる「登山門」です。
ここからいよいよ登山道へ入っていきます。 |
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登山門をくぐったあとは、祖霊社(写真左)の脇を通り、まっすぐ進みます。 |
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舗装された道に交差しますので、看板の指す方向へまっすぐ進みます。 |
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北口本宮冨士浅間神社境内を出てから、歩くこと150mほどのところに「大塚丘(おつかやま)」があります。
西暦110年日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折に、途中で立ち寄ったとされており
「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と言葉を残したとされています。
大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、北口本宮冨士浅間神社の創建となりました。
その後富士山の噴火があり、当時の国主の紀豊庭(きのとよひろ)が延暦7年(788)、大塚丘の
北方に社殿を建立しました。これが現在社殿のある場所であり、ここに浅間大神をうつし、
大塚丘には日本武尊をお祀りしました。
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大塚丘の上には鳥居と祠があります。
昔は「草山」と呼ばれたこの一帯は現在のように木が生い茂ってはなく遮るものもなかったので
富士山の眺めが素晴らしかったのではないでしょうか。 |
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大塚丘の道反対に「吉田口遊歩道」の看板が見えます。
この看板を右に入りますと、舗装されていない吉田口遊歩道があり、
中ノ茶屋を経由して馬返まで続いています。
本来の歴史的な登山道ではないのですが、
安全ですのでこちらを利用することをオススメいたします。 |
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| こちらが吉田口遊歩道のスタート地点です。 |
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「吉田口遊歩道」に平行して舗装された道が馬返しまで続いています。 本来の吉田口登山道はこちらが正規ルートとなるようです。
大塚丘を過ぎると、まもなく道と交差しますので、この矢印の通り登っていきます。 歩道が狭い箇所があるので注意しましょう。 ※安全上、吉田口遊歩道を歩くことをオススメします。 |
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しばらく歩くと左手に「富士パインズパーク」がみえてきます。 広大な芝生の広場はゆっくりと時間を過ごすのにピッタリの場所です。
この辺り一帯は「諏訪の森」と呼ばれています。 江戸時代には徳川吉宗が全国に植物の専門家を派遣し、その1つとしてこの周辺にも薬園が置かれ、 ここで栽培された「五味子(ごみし)」という薬草を塩漬けにしたものが江戸幕府に献上されていたそうです。 |
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登山道の途中では石碑が多くみられます。
こちらは「雪中山篭記念碑」と記されております。大正7年1月に富士吉田を出発し、 約一ヶ月間かけて雪山登山の行をした富士講(富士山を信仰目的で登る人びと)の碑です。 |
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「雪中山篭記念碑」の反対側に一本横へそれる道があります。 ここは「泉瑞(せんずい)」という、以前まで富士山の水が沸いていた場所へ続く道です。 富士講の信仰登山の中で重要な場所です。 |
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| 「泉瑞」と記された看板があります。ここから歩いて10分ほどで着きます。 |
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富士八海の一つとされる「泉水(仙瑞)・せんずい」があった場所です。 富士講の人びとは「富士八海めぐり」の行場として、ここに立ち寄り水垢離(みずごり)を しました。 ここから湧き出る水は“御霊水”といわれ、神聖なものとして扱われてきました。
泉水は“仙瑞”とも表記されますが、これは伝説で源頼朝が巻狩(まきがり)で富士を訪れた際に、鞭(むち)で岩を突いたところ、水が湧き出てきたので、浅間の奇瑞(きずい・良いことが起こる前の予兆の意)であることからもその名がついたといわれます。
北口本宮冨士浅間神社の手水舎の水は以前はこちらから引いていたそうです。 現在は水が湧き出ていた池も埋め立てられておりますが、泉瑞水神社が大事に地元住民によって管理されています。 |
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昔はこのように池になっていました。 (出典:『富士を登る 吉田口登山道ガイドマップ』 P18) |
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まっすぐ舗装された道路、もしくは「吉田口遊歩道」を登ってきますと中ノ茶屋(1100m)に到着します。 画像の通り、吉田口登山道はV字に分かれる道を右へ入っていきます。 |
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| 中ノ茶屋 |
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中ノ茶屋は「遊境」もしくは「幽境」(どちらも“ゆうきょう”)といわれ、この世とあの世の境とされ、 これより先は富士山の聖域であるという認識を富士山信仰をする人びとはもっていました
ここは、北口本宮冨士浅間神社と馬返(一合目手前)のちょうど中間地点に位置し、 また中ノ茶屋から西へ20分くらい歩いたところにある「吉田胎内」へも通ずる中継地点でもありました。
中ノ茶屋は2013年4月27日にふじよしだ観光振興サービスの運営によりリニューアルオープンいたしました。
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中ノ茶屋の建物の反対側には、いくつもの石碑が建てられています。 これら多くは富士山を信仰目的で登る富士講というグループの先達(リーダーの意味)が 33回登ったことを記念して建てられた石碑です。
ゆっくり立ち止まって石碑をご覧いただいて富士山信仰登山の歴史を感じて下さい。 |
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中ノ茶屋を過ぎると、道が狭まりしばらく木々に囲まれた登山道になります。
次のポイント大石茶屋までは1時間ほどの距離です。
江戸時代までの旧登山道はこの画像より左側に延びていたそうです。 |
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| 中ノ茶屋を過ぎたところに、「天然記念物 躑躅原れんげつつじ群落」という石碑があります。このエリア一帯はフジザクラとレンゲツツジの混成群落があり国の天然記念物として指定されております。ヤマネや二ホンリスも生息しています。春にはこのエリアは「ふじざくら祭り」の散策会場として賑わいます。 |
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中ノ茶屋から1時間ほど登ってくると、左手にレンゲツツジの群落(上:画像)がある見通しの良い広場と、
その反対に茶屋跡がある地点に到着します。ここが大石茶屋(1300m地点)です。
昭和初期には大石茶屋の小屋主が大事にレンゲツツジを世話されていたそうで、風光明媚な場所でしたが、
その後、株が根こそぎ盗られるなど数は減っていきました。
現在は地元グループの活動により保存が進んでいます。
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| 大石茶屋という名前の所以は、この周辺に画像の通り大きい石がごろごろと転がっていたからだそうです。このような大きな石は14、15世紀に富士山が山体崩壊をした際に、転がってきたのではないかといわれています。北口本宮冨士浅間神社の参道にある「角行の立行石」も同じものと考えられています。 |
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大石茶屋には“富士塚”を模した石碑群がございます。 富士塚とは富士山を模した溶岩などで造営されたもので富士山に直接登山できない 信仰者たちが、関東の各所の自分たちが住む地域に造営したものです。 富士山山開きの日7/1には富士講が富士塚に登山する習慣があります。
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| 源頼朝が富士山で巻狩りをした際にこちらで陣所を構えたと伝承される石碑もあります。 |
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大石茶屋から歩いて30分ほどで馬返(1450m)の入り口に到着します。
杭の間を通過します。
仮設トイレが写真右側の場所に6月〜10月の期間のみ設置されます。3合目下までトイレがないので心配な方はご利用を。 |
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| 杭を通過したら道なりに進みます。 |
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現在、馬返には一軒の山小屋「大文司屋」があります。(営業はしておりません)
江戸時代には4軒の山小屋が存在していたことが確認をされています。
馬返しは字の如く、「登山路で道が険しくなり、乗ってきた馬を帰して徒歩に変わる地点」とされてきました。
また“四つ足”の馬は神聖な富士山へは登らせないとも考えられていました。 |
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| こちら「大文司屋」さんをお借りして毎年7月1日〜8月末まで富士吉田市では「おやすみ処」として飲料サービスを行っています。登山・下山途中の休憩にぜひお立ち寄り下さい。「富士山登山認定書」を富士吉田市では発行しています。夏山シーズンのみこちらで申請書を配布います。 詳しいことはこちらをクリックしてください。 |
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馬返しの象徴的な石造鳥居です。 鳥居手前の両脇には合掌する猿の像が配置されています。 富士山の伝説の一つに富士山が一夜にして湧き出たというものがあり、その年が庚申(かのえさる)の 年であったことから猿が富士山の使いとして認識されるようになりました。
鳥居をくぐった先には「富士山禊所」の石碑が立っています。 文字通り登山者が富士山へ更に入山していく前に禊(みそぎ)を行った場所です。この禊所は大正年間に建てられたと記録が残っています。 |
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馬返〔古写真〕/明治末期〜 提供:富士吉田市歴史民俗博物館 |
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馬返しを過ぎると、1合目へつづく登山道が伸びております。 一合目はここから15分ほどです。 |
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