富士山ガイド
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トップルートガイド吉田口登山道 (馬返 〜 五合目)
 
2012年7月13日 更新
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吉田口登山道 (馬返 〜 五合目)
「馬返し」(1,450m)から五合目(2,300m)までのルート
馬返から15分ほどで建物が見えてきたら一合目(1,520m)到着です。
一合目にはこの鈴原社の建物がございます。現存の建物は1840年代に建てられたものです。
16世紀には鈴原社という名前でこの地に社があったことがわかっています。
ここで奉られていたのが大日如来で、富士山の神様、浅間大菩薩の本地仏とされています。
ここで安置されていた大日如来像は現在富士吉田市の上吉田の御師のお宅に安置されています。
一合目〔絵葉書〕/明治末期〜
提供:富士吉田市歴史民俗博物館
一合目〜二合目は約2km 約30分ほどです。
登山道が整備されています。
一合目〜二合目の途中に、昭和初期に建てられたレッキスという名称の山小屋の跡も残っています。
レッキスとはカルピスに類似した飲料でこの小屋で販売されていたそうです。
二合目直前には、「二合目一ノ鳥居」として木造鳥居の跡を見ることができます。
この先の御室浅間神社に対する最初の鳥居という意味であり、ここからが御室浅間神社の
境内地であるという認識があったようです。
二合目直下の登山道を少しそれた場所には富士講の山包講(東京・麻布)の大先達がお中道の行を大願成就したことが記された石碑があります。1796年のものです。
一合目から30分ほどで二合目(1,700m)地点に到着です。
この二合目には富士御室(小室)浅間神社が祀られています。
昭和47年にこちらにあった本殿は冨士河口湖町勝山にある里宮に移築され、現在は
画像の拝殿のみが残っています。
昔はこちらを「上浅間」、麓の北口本宮冨士浅間神社を「下浅間」と呼んだそうです。

神社本殿は1612年にはこの地に存在していたことがわかっており、平安末期から
鎌倉時代の初期には既にお像が祀られたりしていたということもわかっています。

御室浅間神社〔絵葉書〕/明治末期〜
提供:富士吉田市歴史民俗博物館
二合目を過ぎた先の御室浅間橋の沢に、「御釜」と呼ばれる溶岩に穴があいた穴があります。はるか遠くまで続いているという伝説があります。 
御室浅間神社を過ぎ、しばらく登ると平坦地があります。ここは「金剛杖(こんごうづえ)役場」があった場所です。
ここでは昔、役銭場として八文が徴収され、その中に金剛杖の購入代金も含まれていたそうです。

金剛杖は、古来より病気に効くとされていて、登山に使用した杖の影を井戸に映して、その水を病人に
与えると回復すると信じられていました。
三合目の手前で、細尾野林道と交差しますが矢印の通り、登山道を250mほど登れば三合目に到着します。
仮設トイレが写真手前の場所に6月〜10月の期間のみ設置されます。
三合目(1,840m)に到着です。
この辺り一帯は平地になり、小屋跡が見えてきます。
昔、三合目は早朝にふもとから登山を始めて、ちょうど昼食をとることが多かったため、「中食堂(ちゅうじきどう)」もしくは「三軒茶屋」とも呼ばれていました。
画像の建物は三社宮の跡で【道了(どうりゅう)・秋葉(あきば)・飯綱(いづな)】が祀られていました。
三社宮の跡です。
三合目〔絵葉書〕/明治後期以降〜
提供:富士吉田市歴史民俗博物館
三合目〔絵葉書〕/明治後期以降〜
提供:富士吉田市歴史民俗博物館
三合目を過ぎると勾配が急になってきます。
富士山の地層が剥き出しになっている箇所もあります。
四合目まではおよそ0.75km 20分です。
登山道をよく見ると岩盤が張り出しているような地形がありますが、これは約2万年前に富士山の元型の古富士の火山活動の際に、泥流を含んだ火砕流の流出(古富士泥流)によって形成されました。
四合目(2,010m)に到着です。いよいよ2,000mを超えました。
ここには大黒小屋という茶屋が一軒と、大黒天をお祀りしていたお堂がありました。(現在は大黒天像は里に下ろされています)大黒茶屋は、ふもとの上吉田の御師大黒屋所有の茶屋でした。
四合目の大黒小屋跡から登って15分、山小屋跡が見えてきたら
四合五勺に到着です。
四合五勺には、御座石浅間の社と井上小屋跡が横に並んでいます。吉田口登山道(麓〜五合目まで)の小屋跡としては、比較的きれいに現存しています。
御座石浅間神社〔絵葉書〕/明治後期以降〜
提供:富士吉田市歴史民俗博物館
御座石浅間の建物跡の左側には大きな岩壁があります。この地が御座石(ございし)といわれる所以はこの岩壁にあります。御座石とは神が依りつく石という意味があるとされ、昔から信仰の対象でもありました。この御座石の岩の上に神様が祀られていましたが、その後隣の御座石浅間の祠に移され、現在は里へ下ろされています。
富士講が奉納した石碑や、岩に掘り込まれた文字などが目にすることができ、信仰のようすを目にすることができます。
四合五勺を過ぎ、五合目までは1kmほどの道のりになります。
この区間には数軒の山小屋が点在していたが、現在でもその跡が残っています。 ここは、「五合目桂屋」があったところで、ここは現在五合目で営業している佐藤小屋ができる前の冬山登山の拠点になった小屋でした。過去に有名な登山家も富士山で訓練をする際にこの山小屋を利用したそうです。
現在でも小屋の土台となった石垣が残っています。
5合目近くになってくると溶岩が突出したような登山道になってきます。足をくじかないよう気をつけてゆっくり登りましょう。
五合目直下には「中宮(ちゅうぐう)」呼ばれる場所があります。富士山の中腹に祀られた社「中宮三社」からそう呼称されていました。また、ここには「中宮役場」があり、「山役銭(やまやくせん)」という122文の入山料を回収する場所でもありました。入山料は登山前の御師によるご祈祷代や、杖の代金、役行者堂での護摩代や、九合目にあった石垣の橋の修繕費などの費用に充てられていました。
その後、ふもとの金鳥居(富士吉田市上吉田)で入山料を前払いで一括で回収し、領収書として「登山切手」が発行される仕組みになると、中宮役場はその登山切手を改める場になりました。
中宮を通過後しばらくして、滝沢林道へ通ずるこの石階段が見えてきたらラストスパートです。
滝沢林道に交差したら、道なりに少し登ります。
滝沢林道は登山道を分断するように通っているため、5合目まで続く登山道にもう一度入る必要があります。 滝沢林道を登って進み、右側にこの建物が見えてきたら、登山道に再び戻る目印と覚えておいて下さい。これは「富士守稲荷」で、この近くの場所にこの稲荷社、大日社、浅間社をお祀りしていた「中宮三社」のお社がありました。武田信玄は娘が病気をした際に、この中宮に願文を出したとされ、信玄も信仰していた神社でもありました。
中宮三社があったとされる場所です。
この周辺には中世の穴あき銭が落ちていることもあり、賽銭を当時の人々が投げ入れていたことがうかがい知れます。
富士守稲荷の脇を再び登山道に入るとすぐに、舗装道路にぶつかりますので横断して、五合目の佐藤小屋を目指します。
佐藤小屋へ続く道です。
五合目の佐藤小屋(2,230m)に到着です!
この先には五合目のスバルライン口へ向かう小御岳道と、そのまま次の山小屋の星観荘を
経由して六合目へ向かう登山道への分岐点があります。

富士山を信仰目的で登拝する富士講は、小御岳道を通り、現在のスバルライン口に鎮座する
小御岳神社へ参拝してから、山頂を目指しました。
五合目天地界館〔絵葉書〕/明治41年〜
提供:富士吉田市歴史民俗博物館
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